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リサイタル ライブ情報

入魂のショパンⅡ

2019年5月17日

前のブログからの続きになります。

5月4日の夕方LeLienのメンバー3人で近い席を取って聴いているうちに、9月23日のピアノリサイタルベートーヴェンピアノ独奏曲全曲演奏も行こうと決まりました。

私のお隣のご婦人は1度このようなリサイタルを聴くとほかのコンサートがものたりなくなってしまうのと話されていましたが、なるほどよくわかります。

私は昨日の初日からウキウキざわざわして、ロビーにあった「中欧の不死鳥」という本を売っていらした販売員と熱く語り合ってしまい本も買ってしまいました!

フェニックスは私のスカジャンの模様と同じですからね!?!

さて、前置きが長くなりましたm( _ _ )m

最終日の開演はA.M.9:00からです。ロビーで売られていたポーランドのスィーツ「ポンチキ」を食べて私の入魂のショパンスタートです。

<少年時代の5つのポロネーズ>

86ポロネーズト短調wn2(1817)

7歳の時の最初の作品です。まだ自分で楽譜が書けず先生のシヴヌィが書きとったと云われているそうです。ショパン一家が世話になっていたスカルベック伯爵の娘ヴィクトリアに献呈されています。私がショパンの曲を弾きたいと藪本秀子先生にお願いしたときにこのポロネーズを弾いたのがショパン様との1stタッチでした。

87ポロネーズ変ロ長調wn1(1817)

88ポロネーズ変イ長調wn3(1821)

師のシヴヌィに捧げられました。

89ポロネーズ嬰ト短調wn4(1824)

90ポロネーズ変ロ長調wn5(1826)

<少年時代の3つのマズルカ>

91マズルカニ長調(1820)

92マズルカ変ロ長調wn7(1826)

93マズルカト長調wn8(1826)

94ドイツ民謡スイスの少年による変奏曲ホ長調wn6(1824)

95ソナタ第1番ハ短調op.4(1827)

<10代ワルシャワ時代の小品>

96葬送行進曲ハ短調wn9(1828op.72-2)

ソナタ第2番の第3楽章の葬送行進曲と勘違いしそうですがちがいます。この頃ポーランドはロシア帝国に支配されデビューしたばかりのポーランドロマン主義の代表的詩人アダム・ミツキェービッチが投獄、流刑されたりしていました。

97エコセーズニ長調wn13(1826 op.72-3)

98エコセーズト長調wm13(1836 op.72-3)

99エコセーズ変ニ長調wn13(1826 op.-3)

エコセーズは18世紀末から19世紀初頭にかけてフランスやイングランドで流行したフォークダンスです。横山先生は速い4分の2拍子の舞曲と解説されもちろんその通りに弾かれていらっしゃいます。

100パガニーニの思い出 イ短調wn16(1829)

ヴァイオリンの鬼才 天才パガニーニの演奏に触発されて作られた作品です。でも悪魔的なパガニーニの超絶技巧にくらべてショパンはエレガントです。なぜならショパンの演奏を聴いて失神したり卒倒したりするご婦人はいなかったのですから。

101ノクターン ホ短調wn23(1827 op.72-1)

最初に書かれたノクターンといわれているそうです。

102コントルダンス 変ト長調wn27(1827)

コントルダンスは17世紀から18世紀にかけて主にフランスで流行した舞曲の一つで起源はイギリスのカントリーダンスです。

103 アレグレット嬰ヘ長調wn36(1829)

速度記号の名前がついたこの曲をマズルカとする場合もあるそうです。

<10代後半の4つのマズルカ>

104 マズルカ イ短調wn14(1827 op.68-2)

105 マズルカ ハ長調wn24(1829 op.68-1)

106 マズルカ ヘ長調wn25 (1830 op.68-3)

107 マズルカ ト長調wn26(1830 op.68-1)

<10代後半のポロネーズ>

108 ポロネーズ ニ短調wn11(1825~27 op.71-1)

109 ポロネーズ ヘ長調wn12(1826~28 op.71-3)

110 ポロネーズ 変ロ長調wn17(1829 op.71-2)

111 ポロネーズ 変ト長調wn35(1830)

<10代後半も6つのワルツ>

112 ワルツ 変ホ長調(1827)

113 ワルツ ホ長調wn18(1829)

114 ワルツ ロ短調wn19(1829 op.69-2)

115 ワルツ 変ニ長調wn20(1829 op.70-3)

116 ワルツ 変イ長調wn28(1829~30)

117 ワルツ ホ短調wn29(1830)

演奏は推定作曲年代順に構成されていました。

118 マズルカ ニ長調(1832)

119 マズルカ 変ロ長調(1832)

120 マズルカ ハ長調(1833)

121 マズルカ 変イ長調wn45(1833)

122 マズルカ ハ長調wn48(1835 op.67-3)

<当時、出版されなかった20代の2つのワルツ>

123 ワルツ 変ト長調wn42(1832 op.70-1)

124 ワルツ 変イ長調wn47(1835 op.69-1) 別れのワルツ

<当時出版されなかった20代の小品>

125 ノクターン 嬰ハ短調wn37レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ(1830)

戦場のピアニストの冒頭に流れる曲です。私の大好きな曲です。

126 カンタービレ変ロ長調wn43(1834)

127 前奏曲 変イ長調wn44(1834)

24のプレリュードに先立ち、単独の小品として書かれたそうです。

128 ラルゴ 変ホ長調(1837)

コラール風の作品です

129 春 ト長調wn52a (1838)

自作の歌曲のピアノ用の編曲です。

130 変奏曲ヘクサメロン第6変奏 ホ長調(1837)

エルツ、ツェルニー、タールベルク、リスト、ショパン、ピクシス、ベッリーニによって合作で作られた曲です。

<3つの新しいエチュード>op.26

131 3つの新しいエチュード第1番ヘ長調(1839)

132 3つの新しいエチュード第2番変イ長調(1839)

133 3つの新しいエチュード第3番変ニ長調(1839)

チェコ出身のモシェレス編纂の教則本に3曲とも掲載されたそうです。

134 幻想即興曲嬰ハ短調wn46(1834~35 op.66)

24歳のショパンが作曲した極めて有名な1曲です。生前に公表されることはなく、なんとショパンは死の床で出版されなかった作品や草稿は全て破棄してほしいと語ったそうなのです!1855年にフォンタナによって出版されました。世に出て本当によかったですねぇ。

<2つのポロネーズ>

135 ポロネーズ第1嬰ハ短調op.26-1

136 ポロネーズ第2番変ホ長調op.26-2

メンデルスゾーンに招待され一緒にドイツの音楽祭に出かけたり、パリでシューマンに出会ったりしています。

<2つのノクターン>op.27

137 ノクターン第1番嬰ハ短調 op.27-1

138 ノクターン第2番変ニ長調 op.27-2

<24のプレリュード>op.28

139 プレリュード第1番ハ長調op.28-1

140 プレリュード第2番イ短調op.28-2

141 プレリュード第3番ト長調op.28-3

142 プレリュード第4番ホ短調op.28-4

143 プレリュード第5番ニ長調op.28-5

144 プレリュード第6番ロ長調op.28-6

145 プレリュード第7番イ長調op.28-7

146 プレリュード第8番嬰ヘ短調op.28-8

147 プレリュード第9番ホ長調op.28-9

148 プレリュード第10番嬰ハ短調op.28-10

149 プレリュード第11番ロ長調op.28-11

150 プレリュード第12番嬰ト短調op.28-12

151 プレリュード第13番嬰ヘ短調op.28-13

152 プレリュード第14番変ホ短調op.28-14

153 プレリュード第15番変ニ長調op.28-15

154 プレリュード第16番変ロ短調op.28-16

155 プレリュード第17番変イ長調op.28-17

156 プレリュード第18番ヘ短調op.28-18

157 プレリュード第19番変ホ長調op.28-19

158 プレリュード第20番ハ短調op.28-20

159 プレリュード第21番変ロ長調op.28-21

160 プレリュード第22番ト短調op.28-22

161 プレリュード第23番ヘ長調op.28-23

162 プレリュード第24番ニ短調op.28-24

第4番はパデレフスキ版で1ページの短い曲ですが、とても感動する曲でわたしは大好きです。

163 即興曲第1番変イ長調op.29

27歳の時の作品です。前年に婚約者マリアとの別れを経て作家のジョルジュ・サンドと出会い関係を深めていきます。

<4つのマズルカ>op.30

164 マズルカ第1番ハ短調op.30-1

165 マズルカ第2番ロ短調op.30-2

166 マズルカ第3番変ニ長調op.30-3

167 マズルカ第4番嬰ハ短調op.30-4

168  スケルツォ第2番変ロ長調op.31

24歳から27歳にかけて作られたと考えられているそうです。この間ショパンはパリのサロンで活躍し生活も安定、両親との再会、マリア・ヴォジンスカとの恋愛、婚約、別れなどショパンにとってひとつの区切りが27歳のときではないかと横山先生は解説されています。

<2つのノクターン>op.32

169 ノクターン第1番ロ短調op.32-1

170 ノクターン第2番変イ長調op.32-2

27歳の作品。前年の10月末にはじめてジョルジュ・サンドと出会ったと云われているそうです。その頃マリアとの結婚を夢見ていたショパンは、一見エキセントリックなサンドを良く思わなかったそうです。しかしサンドからの熱烈なアプローチとマリアとの別れによって次第にショパンの心境に変化が訪れます。わたしは、ショパンの死の床にも葬儀にも一切顔を出さないサンドはショパンの第一印象どおりエキセントリックな性格でショパンの死を早めたのではないかなと個人的に考えてしまいます。

<4つのマズルカ>op.33

171 マズルカ第1番嬰ト短調op.33-1

172 マズルカ第2番ニ長調op.33-2

173 マズルカ第3番ハ長調op.33-3

174 マズルカ第4番ロ短調op.33-4

ショパンが28歳の時の作品です。明るい作品の2番3番と対照的に1番4番は暗く深刻です。サンドと共同生活をスタートさせたものの、健康面では不安を募らせていったのかもしれないと解説されています。

175 マズルカイ短調ノートル・タン(1840)

176 マズルカイ短調エミール・ガイヤールへ(1841)

<3つのワルツ>op.34

177 ワルツ第1番変イ長調op.34-1華麗なる円舞曲

ポーランド風的な要素は陰を潜め華やかなパリの社交界を思い起こされます。

178 ワルツ第2番イ短調op.34-2華麗なる円舞曲

179 ワルツ第3番ヘ長調op.34-3華麗なる円舞曲

180 ソナタ第2番変ロ長調op.35葬送

第3楽章の葬送行進曲は有名です。29歳の夏ノアンの館で完成された作品と考えられています。

181 即興曲第2番嬰ハ短調op.36

同じく29歳の作品です。

<2つノクターン>op.37

182 ノクターン第1番ト短調op.37-1

183 ノクターン第2番ト長調op.37-2

28歳~29歳夏、マヨルカ島滞在の前後に作曲されています。

184 バラード第2番ヘ長調op.38

30歳のときに出版されました。ショパンを絶賛していたロベルト・シューマンに献呈されました。

185 スケルツォ第3番嬰ハ短調op.39

マヨルカ島で書き進められ最終的にはノアンの館で完成しました。29歳の作品で翌年出版され弟子のグードマンに献呈されました。上記のバラード2番とともに激しいコントラストのある作品です。この時期のショパンの共通した作風であると横山先生は解説されています

<2つのポロネーズ>op.40

186 ポロネーズ第1番イ長調op.40-1軍隊

祖国を誇りに思う英雄的なメロディがよく表現されています。

187 ポロネーズ第2番ハ短調op.40-2

<4つのマズルカ>op.41

188 マズルカ第1番ホ短調op.41-1

189 マズルカ第2番ロ短調op.41-2

190 マズルカ第3番変イ長調op.41-3

191 マズルカ第4番嬰ハ短調op.41-4

ポーランド出身の詩人ヴィドヴィッキに献呈されました。音楽家としての名声も頂点に達しサンドの献身的な愛にも支えられた幸せな時期であった反面、健康状態の不安に対する絶望からショパンが漠然と死を意識し始めたということを感じてなりません。華やかさはなく、心の底から震えるような感動を味わえるような作品でもありますと横山先生は解説されています

192 ワルツ第5番変イ長調op.42大円舞曲

1840年ショパン30歳の作品です。

193 タランテラ変イ長調op.43

1841年ショパン31歳の夏に書かれた作品です。この年の4月サル・プレイエルで演奏会を開き大成功しています。しかし大勢の前で演奏することに抵抗感を持っていた繊細なショパンは大変緊張し不安を抱いていたことがサンドの手紙に書かれているそうです。

<当時出版されなかった円熟期の小品>

194 ワルツヘ短調wn55(1841 op.70-2)

195 アレグレットとマズール イ長調

196 ソステヌート 変ホ長調wn53(1843)

197 フーガ イ短調(1841~42)

198 モデラート アルバムの一葉 ホ長調wn56(1843)

199 ポロネーズ第5番嬰ヘ短調op.44

1839年以降、夏はノアン冬はパリという生活スタイルが定着していきます。

200 プレリュード嬰ハ短調op.45

31歳の作品です。独立した作品として発表されました。同じ年に幻想曲が生み出されています。

201 演奏会用アレグロ イ短調op.46

オーケストラとピアノの独奏を一人で演奏するような作品で、滅多に演奏されることのない最重量級の作品であると解説されています。

202 バラード第3番変イ長調op.47

30歳から31歳にかけて作曲されました。ポーランドの詩人ミツキェーヴィッチの詩「水の精」に着想を得たといわれているそうです。

<2つのノクターン>op.48

203 ノクターン第1番ハ短調op.48-1

204 ノクターン第2番嬰ヘ短調op.48-2

205 幻想曲ヘ短調op.49

31歳の作品です。1840年から41年にかけてはサル・プレイエルの演奏会の成功により経済的にも安定し、恋人サンドとの関係も落ち着いており、人生の中で充実した時期だったと言えるときの作品だそうです。

<3つのマズルカ>op.50

206 マズルカ第1番ト長調op.50-1

207 マズルカ第2番変イ長調op.50-2

207 マズルカ第3番嬰ハ短調op.50-3

31歳から32歳の作品です。op.41までのマズルカは4曲の連作でしたが、このop.50以降は3曲の構成になっています。完成までには、度重なる推敲を重ねたことが記録として残っているそうです。

209 即興曲第3番 変ト長調 op.51

209 バラード第4番 ヘ短調 op.52

もはや最終日5日の夜の7時近く、この頃になるとショパン様と横山先生の区別がつかなくなってくる瞬間が多々やってくる状態です。すごい演奏会でした。

211 ポロネーズ第6番 変イ長調 op.53 英雄

ショパンのポロネーズの中で最も有名で傑作として知らしめられている作品も上記と同じく32歳の作品です。1842年はワルシャワ時代からの親友の医者マトゥシンスキと同じくワルシャワ時代の恩師シヴヌィ先生を亡くしています。

212 スケルツォ第4番 ホ長調op.54

同じく32歳の作品です。ショパンの創作の絶頂期と言えるのが、この30代前半の時代でしょう。

<2つのノクターン>op.55

213ノクターン第1番ヘ長調op.55-1

214ノクターン第2番変ホ長調op.55-2

33歳頃の作品、ジェーン・スターリングに献呈されています。スターリング嬢はショパンの弟子の一人で晩年のショパンの熱烈なファンとして懸命に支えたことで知られているそうです。

<3つのマズルカ>op/56

215 マズルカ第1番ロ長調op.56-1

216 マズルカ第2番ハ長調op.56-2

217 マズルカ第3番ハ短調op.56-3

33歳頃の作品、翌年出版されました。1843年夏を例年通りにノアンで過ごしたショパンですが、体調は優れずパリ時代の友人ドラクロワがノアンに訪れてくれたことで少し元気になったと解説されています。

<3つのマズルカ>op.59

218 マズルカ第1番イ短調op.59-1

219 マズルカ第2番変イ長調op.59-2

220 マズルカ第3番嬰ヘ短調op.59-3

1845年に完成されました。私生活ではサンドとの不仲により居心地の悪くなったノアンで書かれていますが、マズルカ中の最高傑作と言われているそうです。

<3つのマズルカ>op.63

221 マズルカ第1番ロ長調op.63-1

222 マズルカ第2番ヘ短調op.63-2

223 マズルカ第3番嬰ハ短調op.63-3

1846年ノアンで夏書かれました。これがショパンの意思で出版した最後のマズルカです。この年のノアンは非常に暑くショパンは1日中苛立っていたといわれています。またサンドがポーランド出身の使用人を解雇したことも不仲を助長したようです。

<当時出版されなかった晩年の3つのマズルカ>

224 マズルカイ短調wn60(1846 op.67-4)

225 マズルカト短調wn64(1846 op.67-2)

226 マズルカヘ長調wn65(1848 op.68-4)

WN65は死の床で書かれたといわれるショパンの1番最後の作品で、まだこのあと続きを書こうとしていたことが自筆譜からうかがえるそうです。

<3つのワルツ>op.64

227 ワルツ第1番変ニ長調 op.64-1 子犬のワルツ

228 ワルツ第2番嬰ハ短調 op.64-2

229 ワルツ第3番変イ長調 op.64-3

230 ワルツ イ短調wn63(1847~49)

231 ギャロップ・マルキ変イ長調wn59(1846)

232 ブーレ ト短調(1846)

233 ブーレ イ長調(1846)

ここまで弾き終わった時間が午後の9時近くでした。まだまだ名作が残ってますが、最後まで無事弾き終えることができたら本当に間違いなく半泣きするぐらい感動するだろうと予測していました。

234 舟歌嬰ヘ長調op.60

バルカローレ(舟歌)はもともとヴェネツィアの船頭唄をモチーフにした小品です。ショパンは1845年秋から作曲にとりかかりますが前年の父の訃報、病状の悪化に加え、サンドとの亀裂が大きくなっていきます。

235 ポロネーズ第7番変イ長調op.61幻想ポロネーズ

35歳から36歳にかけて書かれた最後で最大のポロネーズです。病状の悪化に加え、ちょうどこの頃サンドの二人の子供との関係がうまくいかなくなり、その亀裂が決定的なものとなります。この夏を境にショパンがノアンに戻ることはありませんでした。

<2つのノクターン>op.62

236 ノクターン第1番ロ長調op.62-1

237 ノクターン第2番ホ長調op.62-2

238 ノクターンハ短調wn62(1845~46)

239 子守唄変ニ長調op.57

33歳のときに着手、ノアンの館で加筆し、翌年仕上げられました。友人の歌手ポーリーヌ・ヴィァドルが演奏旅行に出かける間、幼い娘ルイーズを預かることになり、ショパンは大変可愛がったことが知られているそうです。

いよいよ240曲めです!!!ソナタ第3番全楽章です!!!!もはや神!

240 ソナタ第3番ロ短調op.58

最後までこの長文にお付き合いいただき恐縮です。ありがとうございます。

この情報が何かのアイデアや進化のきっかけになってくださると嬉しいです。