音楽を聴いたとき、今日は良かったと感想を持つ場合とは、聴いたことによって何かを与えられたと満足感を覚えたときではなかったかと思いますが、どうでしょうか?
例えば、その会場に50人の聴衆がいたとしたら、50様式の感想が生まれるのだから、これは演奏する方と聴く方の双方で創る作品であるとも言えます。
会話をするときに相手のことを目まぐるしく考えながら言葉を選んで話し合ったりしますが、演奏の場では一方通行になります。
これを乗り切るには結構な説得力と各々に届くような普遍性も、それから演奏側が一番語りたいのは何かをはっきりとすることも、何しろ盛りだくさんの中身を音にこめるわけです。
さまざまな状態の聴きてに失望することなく帰ってもらうためには、相当なエネルギーを日頃からアウトプットできる練習を積むことが必要になります。
ただ、これを~ねばならないと自分に言い聞かせてしまうとそれは練習の遠回りになっていくような気が私はします。
義務感からいい音は生まれないからです。
弾き手が聴いてくださる側に対して贈り物を届ける過程であると思考を変えてみるとワクワクしませんか?
いつの時代のどこの場所で作られた曲にしようとか、買い物ならお店選びに似ていますしね。
買い物と演奏では違いすぎると考えられるならば、ほかの得意であったり大好きなことをコンサートやコンクールになぞらえて自分なりのストーリーを想像してみると意外と辛かった練習も変化していきますよ(*´∀`*)